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名古屋の地下鉄建設史〜計画の変遷を追う〜


 名古屋の市営交通の歴史を辿ると明治の愛知馬車鉄道(現在の名鉄)まで遡ります.
 ここでは市電時代を省略して,高速度鉄道,いわゆる地下鉄の建設史についてのみ整理したいと思います.
 特に時代を反映する建設計画の変遷を追って紹介します.


一期計画

第一次計画(昭和11年)

 市の人口は一次大戦後急速に増加し,昭和9年には100万人を突破しました.このころ主要交通機関であった市電は大変な混雑であったため,すでに東京と大阪で開業していた地下鉄も含めてその対策が検討されました.

 昭和10年末に調査を開始し,同11年5月に7路線約52Kmの計画が発表されました.
しかし総工費が高く,その他市財政の支出があったため一時見合わせとなりました.

【一期】
:中村(稲葉地)〜覚王山 [全線地下]
:田端〜[高架]〜市役所〜[地下]〜内田橋
【二期】
:桜山〜篠原町〜押切 [全線地下]
:覚王山〜新池(東山公園)
:本山橋〜八事
:押切〜田端〜大幸町
:桜山〜笠寺〜鳴尾〜柴田 [高架]
※アルファベットは便宜上つけました.実際の計画にはありません.


二期計画

第二次計画(昭和15年)

 日支事変後,市は一大軍需産業都市としてさらなる発展を遂げます.これにより再び地下鉄計画が持ち上がります.
 昭和14年に「臨時名古屋市並近郊交通調査会」が発足し,基本4路線約29Kmの計画が発表されました.

ボーリング調査の準備まで進みましたが,戦争により計画は頓挫しました.

名古屋駅・覚王山線
市役所・熱田線
名古屋駅・高辻線
大曽根駅・熱田線
※太線が基本計画、点線が将来計画

<参考>
 昭和13年に関西急行電鉄(現在の近鉄)が名古屋付近の地下線を完成させ,これが名古屋初の地下鉄道となりました.


戦後

昭和21年高速鉄道網検討用基礎案

 戦後,名古屋市は将来人口を200万とした都市計画を立て,その一環として交通網の整備の検討が進められました.この計画は実際に着工はせずとも,街の復興計画を立てる上で,将来の鉄道用地を確保することを主目的としていました.この計画により誕生したのが錦通などの幅員の広い幹線道路です.
 昭和21年1月に,4路線約43Kmの基礎検討案が立案されました.

:八田〜栄町〜守山
:平田橋〜栄町〜八事〜(挙母?)
:上飯田〜(b路線と接続)
:覚王山〜総合運動公園〜(岡崎?)
※アルファベットは便宜上つけました.実際の計画にはありません.

 この計画の特徴は,なんといっても相互直通に重点を置いていた点です.八田で近鉄と,平田橋・上飯田・守山・八事(計画路線)で名鉄と,総合運動公園で国鉄?(計画路線)との相互直通乗り入れを前提としていました.


昭和25年名古屋復興都市計画高速度鉄道路線網

 上記の名古屋市の計画案に,運輸省・内務(建設)省・戦災復興院・名鉄・近鉄が加わった「名古屋市高速度鉄道協議会」が昭和21年9月に設置され,翌年10月に6路線約55Kmの路線網が定められました.
 その後名古屋〜八田間を省いた約49Kmが昭和25年1月に都市計画決定されました.

1号線:名古屋駅〜覚王山〜石川町
2号線:新川橋〜市役所裏〜石川町
3号線:覚王山〜東山
4号線:市役所裏〜大曽根〜水分橋
5号線:石川町〜旧名薬専前
6号線:金山〜名古屋港

 これらは現在の路線網の原型と言えます.
 この計画も上記と同じく相互直通(新川橋・八田・大曽根・水分橋)を予定しています.また3号線東山から先挙母までの延長計画や,5号線の有松方面への延長計画など発展性を含んでいます.
 有名な話ですが,このとき国鉄名古屋駅0番ホームを借り受け,そこに地下鉄を乗り入れる計画でした(路線を栄生まで延長して名鉄本線と相直).


名古屋栄 昭和30年代前半参考画像「昭和三〇年代前半の栄交差点」→

 以上のように市を越えた広大な計画であったり,相互直通乗り入れを前提としているなど,三セク方式での建設も検討されていました.
 しかし,昭和28年になって,建設資金分担問題や国鉄ホームの使用不能などにより相互直通は困難となり,翌年6月には三者協定も破棄され,市が独自で建設する事となりました.これにより予定していた相互乗り入れも必要なくなったため,後に建設費の安い第三軌条方式が採用されることになります.

 市はすでに免許を取っていた名古屋〜田代(現在の池下駅の南)間,市役所裏〜金山間の早期開業を目指しました.
 そして昭和29年8月に名古屋〜栄町間が着工.地下鉄車輌の設計には3S(安全・迅速・静粛)を基本として検討が重ねられ,昭和31年に試作車を製作,市電下之一色線の狭軌路線に標準軌路線を併設し第三軌条もつけて先行試作車によるテストを行いました.このとき車体色は画家の杉本健吉氏によりウィンザーイエローと決定されました.

 ついに昭和32年11月15日,待ちに待った地下鉄「名古屋〜伏見町〜栄町間」2.4Kmが開業.100形2両編成が3分間隔で走りました.

 その後も工事は続けられ,第二期工事分の栄町〜池下間が昭和35年6月15日に開通しました.この区間は当初は高架線での建設予定でしたが,住民の要望などで地下式で建設されました.


昭和36年都市交通審議会名古屋部会答申

 昭和33年に運輸省の諮問機関である「都市交通審議会」の名古屋部会が設置され,これまでの計画路線網に手が加えられました.
 昭和36年10月には5路線約75Kmの路線網が答申され,市はこれに基づき都市計画の変更を行いました.

1号線:長久手〜池下〜名古屋〜八田
2号線:大曽根〜栄町〜金山〜名古屋港
3号線:上小田井〜伏見町〜八事〜天白
4号線:大曽根〜本山〜八事〜金山
5号線:伏屋〜金山

 ここまでくると,現在の路線網とほぼ同じです.
 ただ残念な事は,名鉄小牧線との連絡が無視されてしまった事です.

 またこの答申では,名古屋市の都市交通の将来について,「昭和60年までに路面電車は概ね撤去し終えるべきである」と述べられ,次第に交通の主役が変わってゆくことになります.


 昭和38年には1号線池下〜東山公園間が開通しました.この区間には初めてシールド工法が採られています.

 そして昭和40年には2号線市役所〜栄町間が先行開業しました.
 当初,名鉄は瀬戸線との相互直通運転を行うよう要望しましたが,市は将来的に2号線は4号線とあわせて環状運転を行う予定でしたので,線路に空き容量がないことを理由に断りました.
 これにより名鉄が用意していた栄町〜市役所裏の経路ではなく,栄町〜市役所(前)のルートをとります.
 またこの後の延長では,当初の瀬戸線沿いに進むのではなく,黒川経由の大回りルートをとることになりました.

 1年半後の昭和42年に,残っていた栄〜金山間と東山公園〜星ヶ丘間が開通し,地下鉄網は栄を中心に東西南北に結び,名古屋の大動脈となってゆきました.

 この頃になると地下鉄駅にバスターミナルを作り,バス路線の終起点を集め,「郊外ではバス,市街地では地下鉄」という交通計画が主流になってゆきます.
 次第に役目を失っていった名古屋市電は,自動車の増加に伴う渋滞の影響もあって,次第に路線縮小し,昭和49年3月31日,会社線時代から77年続いた歴史に幕を下ろしました.

 その後,昭和44年4月1日に,1号線名古屋〜中村公園間と星ヶ丘〜藤が丘間が東西同時開通し,地下鉄の営業キロが20kmを越えたのを記念して,路線の愛称を募集しました.
 その結果,1号線(中村公園〜藤が丘)を「東山線」,2号線(市役所〜金山)を「名城線」と呼ぶようになりました.ちなみに,その後開通した3号線と6号線は事前に愛称募集を行い,開通時から「鶴舞線」「桜通線」の愛称で呼ばれています.

 昭和46年3月29日には浸水対策に苦労した2号線の金山〜名古屋港間が開通.さらに12月20日には名鉄瀬戸線を避けて建設された2号線市役所〜大曽根間が開通し,2号線は全通しました.

 続いて昭和49年3月30日には,宅地化が急速に進んだ市東南部に4号線(金山〜新瑞橋間)が開通しました.


昭和47年都市交通審議会答申

 昭和36年の答申以来10年余りが経過し,名古屋都市圏の交通事情は一変.新たなる計画を立てる必要が出てきました.
 昭和47年3月に新しく出された答申では,8路線139Kmの路線網が提示されました.

1号線:長久手〜藤が丘〜名古屋〜中村公園〜八田
2号線:大曽根〜栄〜金山〜名古屋港
3号線:上小田井〜伏見〜八事〜天白〜赤池〜豊田市
4号線:大曽根〜本山〜八事〜金山
5号線:伏屋〜金山
6号線:稲葉地〜名古屋〜今池〜新瑞橋〜鳴海〜豊明
7号線:金山〜市役所〜清水口〜上飯田
8号線:枇杷島〜浅間町〜矢場町〜黒川〜楠町

東京,大阪に続き,広域での高速度鉄道網が答申されました.

  


 その後の開通区間は…

昭和52年 3月18日 3号線(鶴舞線) 伏見〜八事間
昭和53年10月1日  3号線(鶴舞線) 八事〜赤池間(昭和54年から名鉄豊田線との相互直通乗り入れ開始)
昭和56年11月27日 3号線(鶴舞線) 浄心〜伏見間(この頃から地下鉄駅の深度が深くなる)
昭和57年9月21日  1号線(東山線) 中村公園〜高畑間(建設予定線の八田を通り越し,計画線の高畑まで)
昭和59年9月6日   3号線(鶴舞線) 庄内緑地公園〜浄心間(庄内川を越えるため防水扉が設けられる)
平成元年9月10日  6号線(桜通線) 中村区役所〜今池間(東山線の混雑対策で)


平成4年 運輸政策審議会答申

 平成4年1月,運輸大臣の諮問機関「運輸政策審議会」より『名古屋圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画』についての答申が出されました.
 前回答申と比べると縮小しており,バブルの影響を大きく受けています.

 下記に未完成分を掲載します.

3号線:上小田井〜庄内緑地公園
4号線:大曽根〜本山〜八事〜新瑞橋
金山線:伏屋〜金山〜丸太町〜黒川〜楠町
6号線:七宝〜名古屋〜今池〜新瑞橋〜鳴海〜豊明北
上飯田線:丸太町〜新栄町〜平安通〜上飯田
東部線:笹島〜丸太町〜吹上〜星ヶ丘〜高針橋〜岩崎

【図の見方】
黒太線:営業路線
 
赤線:答申路線A(平成20年までに整備するのが妥当)
 
青線:答申路線B(平成20年までに整備の推進を図ることが妥当)
 
緑線:答申路線C(今後整備について検討すべき路線)  


 その後の開通区間は…

平成5年8月12日 3号線(鶴舞線) 上小田井〜庄内緑地公園間(名鉄犬山線との相互直通乗り入れ開始)
平成6年3月30日 6号線(桜通線) 今池〜野並間

と順次開業しました.

 その後4号線の開業ラッシュと,第三セクター会社「上飯田連絡線株式会社」による新線建設で5番目の地下鉄「上飯田線」が開通しました.

平成12年1月19日 4号線(名城線) 大曽根〜砂田橋間
平成15年3月27日 上飯田線     平安通〜上飯田間(三セク会社が建設し所有、交通局は第二種事業者)
平成15年12月13日 4号線(名城線)砂田橋〜名古屋大学間
平成16年10月6日 4号線(名城線) 名古屋大学〜新瑞橋間(地下鉄初の環状運転開始)
平成23年3月27日 6号線(桜通線) 野並〜徳重間

 これにより現在の地下鉄ネットワークが完成しました.

 別件では,市が主導の三セクとして平成13年3月に名古屋ガイドウェイバス志段味線が,平成16年10月には名古屋臨海高速鉄道あおなみ線が開業しています.

←現在の名古屋市内鉄道路線図

 近年,名城線で環状運転が始まり,徳重延伸工事も完了した今,昭和32年の開業以来絶えず続いて来た建設工事が完全に無くなり,名古屋の地下鉄路線網はこれにて完成形となりました.
 今後は…小子高齢化や人口減少,財政難など昨今の情勢を考えると,これ以上の地下鉄建設は難しいと予想されます.

 

 

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