かつて,市バス車両の車検整備を行っていた専用工場を紹介します. ここでは廃止時期が新しいものから順番に紹介します.
市バス車両の整備体制 |
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平成時代後半の経営健全化計画の一環で,市バス車両の整備体制が大幅に見直されました.
各営業所整備係において実施する,1月・3月定期点検整備や故障車修理等の日常メンテナンスは,以前は管理のみ直営で行い,作業は外注(ディーラー整備担当者が常駐)するなど委託作業が中心でしたが,基本的に直営作業に戻されました.
一方で12月定期点検整備(車検整備)は,以前は車検整備工場として大規模は「自動車工場」を設け,全営業所の車両を対象に,主に直営作業で実施していましたが,現在は大半が外部委託されています.
平成25年(2013年)4月をもって,「自動車工場」(大高工場)が閉鎖されました.
現在は,中川営業所の所属車両についてのみ,平成24年度に中川営業所内に新設した車検整備棟において,直営による車検整備を継続して実施しています.
その他の営業所所属車両の車検整備については,民間車検整備工場に複数年契約で委託しています.
名鉄自動車整備や三重交通が受託しています.
当ページでは,平成25年まで存在した自動車工場を紹介します.
期間 |
車検整備工場(通称名) |
昭和54年〜平成25年 |
大高工場 |
昭和16年〜昭和54年 |
西町工場 |
昭和5年〜昭和16年 |
大池,浄心,那古野,横田 |
大高工場 |
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大高工場は,昭和54年(1979年)7月1日に緑区大高(森の里地区)に開設されました.
平成25年(2013年)4月1日に閉鎖されるまで34年間に渡り,管理委託車両を除く市バス全車両の車検整備やエンジンのオーバーホールなどの修繕作業を行っていました.
一時期,バス車両以外にも公用車の車検整備も行っていました.
所在地は,JR東海道線大高駅と南大高駅のほぼ中間点です.
東側は河川を挟んでJR東海道線と新幹線が走っています. 西側は道路を挟んで森の里団地(市営森の里荘)が広がります.
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▲市バス営業所と自動車工場の位置関係 |

▲自動車工場 周辺地図 |
大高工場の敷地は南北方向に縦長で,敷地の南西角に市バス森の里団地回転場があります.
(大高工場閉鎖跡も市バス回転場は継続使用.)
工場内の南側は,職員駐車場,整備入庫待ちや整備済みのバス車両を留置しておく駐車場,2階建ての事務所棟と受入・完成検査を行う「検査場」がありました.
敷地中央から北側は,車検整備や修繕を行う巨大な「整備場」がありました.
工場の車両出入口は南側の1箇所です.
出入口の先には,広大な駐車場があり,整備入庫待ちバス車両や整備済み引取り待ちのバス車両が留置されていました.
事務所棟は2階建で,一時期は廃車となったバス車両の部品販売も行なっていました.
過去には屋根上には電照付き巨大広告があり,新幹線や東海道線の車窓から,市営交通や万博に関する大きな広告が見えました.

▲左側/工場出入口 右側/森の里団地回転場出入口 |

▲屋上電照看板のあった頃の様子 |

▲事務所棟と職員駐車場 |

▲バス駐車場 木々の向こうにJR東海道線が見える |

▲バス駐車場の様子 |

▲バス駐車場の様子 |
検査場は通り抜け形になっており,A〜Cの3区画があります.
自動車工場に入場・出場する車両は必ずここを通過し,受入検査や完成検査を受けました.

▲各種検査を行う検査場 |

▲検査場と奥に広がる整備場群 |
検査場を抜けると,巨大な整備場があります.
大型の整備場が2棟あり,L字型に配置されています.
整備ピットは合計で20ピットあります.
巨大な建物の中に,整備中の車両がずらりと並ぶ光景は圧巻です. (画像はありません)
ブレーキなど足回りを点検する「台車整備場」,エンジンなどを点検する「機関整備場」といった各職場に分かれています.
ピットの開口部は線路側を向いており,騒音が団地の方へ響かないよう考慮されています.
整備場の他に,車体塗装などを行う塗装場(21〜23ピット),洗車場と洗車機があります.

▲23ピットを擁す整備場群 |

▲整備場出入口 |

▲塗装場(手前の23と奥の21〜22) |

▲塗装場(23)と洗車場 |

▲乗用車の整備も実施していた頃 |

▲整備場中は広々とした空間が広がる |
平成25年(2013年)4月1日の工場閉鎖後,建物解体・更地化されました.
工場跡地は平成30(2018)年に公売され,長谷工コーポレーションが取得しました.
工場跡地の北側は,「MMプロジェクト」と称する総戸数192戸の10階建て分譲マンション開発が行われ,令和3年11月に竣工しています.
工場跡地の南側は,ドラックストア「コスモス大高南店」が出店しています.
さらにその南側にある市バス「森の里団地回転場」は,そのまま残っています.

▲R4年頃の工場跡地の様子 |
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西町工場 |
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従来は浄心,横田,那古野の各車庫に併設した小規模工場で行っていた車両修繕を,修繕能力向上のため大規模工場1カ所に集中化することになり,昭和16年4月1日に開設されたのが西町自動車修理工場です.熱田区西町(現在の一番3丁目)にありました.
西町工場自体は,昭和6年2月21日に路面電車の工場として開設されました.昭和16年からは市電&市バスを扱う基幹工場として,市バス全車両のエンジン分解,車体・車検等の作業を実施し,バス車両修繕の心臓部として機能してきました.
市電廃止に伴い昭和49年に市電工場が廃止された後もバス整備工場は残りましたが,昭和54年7月の大高工場への移転に伴い閉鎖されました.
工場の跡地は,日比野中学校南校舎や市営住宅、上下水道局営業所となっています.

▲現在の西町付近の様子(市バス西町停) |

▲元西町工場跡地 <地図> |
西町工場以前 |
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昭和5年のバス事業開始に先立ち,昭和4年12月に大池町(現在の中区千代田)にバラックで自動車修理工場を建てたのが自動車工場の始まりです.追って昭和5年4月に浄心自動車修理工場が完成し,本格的な整備修繕作業が行われました.
その後,事業規模の拡大に伴い那古野車庫に小規模工場を併設,民間バス会社の買収により横田修理工場を引き継ぎ使用するなどの対応が行われました.
しかし,これら小規模工場では,戦争の拡大とともに国策車として登場した各種代燃車の整備が困難であったため,昭和16年に新設された西町工場に機能を移し,整備を集中化することになりました.
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