かつて存在した市バス営業所・自動車運輸事務所を取り上げます. ここでは廃止時期が新しいものから順番に紹介します.
港営業所 |
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【開設から閉鎖まで】
市バス港営業所は,昭和18年7月に市電車庫「港電車運輸事務所」として開設されました.
昭和44年2月の市電廃止とともに市電車庫から市バス車庫に転用され,中川自動車運輸事務所の港分所として再スタートしました.翌年には自動車運輸事務所に昇格しています.
主に港区の地下鉄駅から郊外へ向かう路線や,港区から都心へ向かう路線を担当していました.昭和56年には熱田分所を所管.昭和57年には港営業所に名称変更されました.
しかし経営合理化策にともなう減車措置の中,平成16年10月のあおなみ線開業に伴うバス路線再編により,閉鎖となりました.
【その後】
営業所の閉鎖後も,敷地の一部は「港区役所回転場」として利用され,車両の待機と乗務員休憩機能が残りました.
そして平成31年2月に営業所機能が復活し,「港明営業所」として再スタートしました.
平成16年10月以降の,回転場・港明営業所については,
営業所>港明営業所をご覧ください.
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所在地 |
港区港明1丁目 |
最寄停留所 |
港区役所(旧港車庫前) |
開設 |
昭和44年2月10日 |
閉鎖 |
平成16年10月6日 |
所属車両数 |
82両(H16年4月時点) |
旧主力車種 |
いすゞ |
旧担当系統 |
16系統(出入庫をのぞく) 幹名駅2,幹築地1,(幹神宮1),名駅19,名駅27,栄22,金山25,六番11,名港12,名港13,名港14,名港15,(神宮14),中川区2,港区,熱田区,神・港 |
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【営業所閉鎖前の様子】
市電車庫からバス車庫に衣替えした営業所の中では最も新しく,建物配置やピット部の線路跡など,市電車庫時代の遺構が残っていました.

▲港車庫全景 北側より望む 右側の幹線道路側に出入口があった |

▲車庫出入口より内部を見る(1) 奥にも留置スペースが広がっている |

▲車庫出入口より内部を見る(2)
三角屋根が印象的だった |

▲車庫手前の駐車スペース
いすゞキュービックが主力 |

▲車庫最奥の駐車スペース
こちらは車両清掃用の屋根付き |

▲旧市電車庫時代から残る三角屋根の建物 |

▲三角屋根の内部 |

▲一部ピット構造となっており 市電レールや枕木,犬釘が残っていた |
まるはち交通センター
www.maruhachi-kotsu.com |

▲車庫北側にあった検車場 |

▲車両を持ち上げ点検中 |
那古野営業所 |
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【開設から閉鎖まで】
市バス那古野営業所のあった土地は,名古屋の電気鉄道発祥の地として,名古屋の都市交通を支えてきた歴史ある場所です.
明治31年5月,わが国で2番目となる市内電車が名古屋の地で走り始めました.その際,開設されたのがここ那古野車庫で,電車車庫のほか,名古屋電気鉄道株式会社の本社や変電所も併設されました.その後,大正11年に市内電車は市に買収され,敷地も市電車庫&工場として引き継がれました.
昭和5年には市営バスが運行開始.事業拡大に伴い,昭和6年2月に西町に移転した那古野市電工場跡地を改造,12月に業務課自動車係浄心出張所那古野派出所の名称で,市営バス2番目の車庫が開設されました.翌年には出張所に昇格.昭和14年に那古野自動車運輸事務所に,昭和57年に那古野営業所に名称を変更しています.
しかし近年の経営合理化策にともなう減車措置の中,平成15年12月に閉鎖となりました.
【その後】
名古屋駅に近い一等地のため,営業所跡地は民間に売却され,複合ビル「名古屋プライムセントラルタワー」に生まれ変わりました.
ただ,外見では分かりにくいのですが,ビルの1階部分には大型のバス駐車場「那古野回転場」が設けられ,車両の待機と乗務員休憩機能が再設置されています.
那古野営業所跡地に建設された複合ビル1階部分の那古野回転場については,
終点の風景>西区(6)那古野回転場をご覧ください.
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所在地 |
西区名駅2丁目 |
最寄停留所 |
那古野町 |
開設 |
昭和6年12月10日 |
閉鎖 |
平成15年12月13日 |
所属車両数 |
93両(H15年4月時点) |
旧主力車種 |
三菱ふそう |
旧担当系統 |
11系統 基幹2,幹名駅1,(幹名駅2),名駅14,名駅16,名駅17,名駅18,栄18,栄758,なごや城,中区 |
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【営業所閉鎖前の様子】
大ターミナル,名古屋駅から北へ徒歩5分以内の場所にありました.駅から近い商業地区ですが,駅前と比べると人通りも少なく,閑散とした雰囲気がありました.
出入口は東の大通りに面した2箇所と那古野交差点に出口がありました.
車庫敷地の北側には,明治時代の遺構と思われる赤レンガ壁が残っていました.

▲那古野営業所 地図 |

▲那古野営業所を上空から見下ろす |

▲車庫東側の出入口より |

▲車庫西側の出入口より |

▲北側赤レンガ前の駐車スペース |

▲車庫手前側の駐車スペース |

▲敷地西側にある飛び地駐車場 |

▲三角屋根の検車場 |

▲検車場内部の様子(1) |

▲検車場内部の様子(2) |
天白営業所 |
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戦後の市バス最盛期の中,昭和38年に天白自動車運輸事務所が新設されました.当時の住所は天白町大字植田字堤溝20.
現在の地下鉄鶴舞線植田駅〜原駅あたりにあり,市南東部のバス路線を担当しました.
昭和57年に天白営業所に名称変更.昭和61年4月には市域の拡大に伴い新設された緑営業所に役目を譲り,閉鎖されました.
北営業所 |
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昭和30年代の市営バス事業急成長時代,最初に増設されたのが北自動車運輸事務所です.当時の住所は北区鳩岡町一丁目1.
昭和33年5月に浄心自動車運輸事務所の移転,休止という形で発足しました(昭和35年に浄心車庫復活).
昭和40年には如意分所を新設(同44年に如意自動車運輸事務所として独立).昭和57年に北営業所に名称変更.
昭和60年4月に閉鎖となっています.跡地はマンション群となっています.
熱田自動車運輸事務所 (前・横田自動車運輸事務所) |
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昭和10年,当時市内最大の民営バス会社であった名古屋乗合自動車(株)を買収した際に引き継いだ車庫の一つ.発足時の名称は横田出張所で,松ヶ枝派出所を所管していました.しかし戦時中,空襲などの被害を受け一時閉鎖に追い込まれています.
バス事業が国土の復興とともに復旧を始めると,昭和21年3月に御器所自動車運輸事務所横田分所として復活.翌年10月には横田運輸事務所に昇格しました.
その後.昭和31年に熱田自動車運輸事務所の開設とともに車庫機能を移転,横田車庫は閉鎖されました.
昭和31年7月開設の熱田自動車運輸事務所は,熱田区図書町一丁目8にあった車庫です.現在の伝馬町あたり.
昭和41年8月には鳴尾分所を設けています.しかし昭和56年にバス事業縮小に伴い港自動車運輸事務所熱田分所に降格.翌57年3月28日をもって閉鎖されました.
老松自動車運輸事務所 (前・松ヶ枝自動車運輸事務所) |
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昭和10年,横田車庫とともに名古屋乗合自動車(株)から引き継いだ車庫の一つで,横田出張所所管の松ヶ枝派出所として発足しました.発足時から全国で数少ない電気車の動力源である蓄電池の充電所として整備されました.(昭和13年に那古野も追加設置).昭和12年には出張所に昇格しています.しかし昭和20年3月の空襲で車庫が全焼.廃所となりました.
戦後バス事業の復旧に伴い,横田車庫に次いで昭和22年10月に御器所自動車運輸事務所松ヶ枝分所として復活.これにより同年5月から始まった米軍払い下げ車両と国産車増加に対応することが可能となりました.24年4月には松ヶ枝運輸事務所に昇格しています.
しかし年々増加する車両数と車両の大型化により各車庫とも手狭になってきたことから,昭和27年6月に老松市電車庫跡地にバス車庫を建設.松ヶ枝車庫機能を移転させることになりました.
新しい車庫名称は,中自動車運輸事務所老松区で,若宮大通の北側にありました.当時の住所は中区老松町七丁目8.現在は団地になっています.
昭和29年には老松自動車運輸事務所に名称変更,長年都心に近いバス車庫として機能してきましたが,昭和56年3月に閉鎖となっています.
稲葉地電車自動車運輸事務所 |
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市バス車両数の著しい増加に対応するため,昭和38年8月に市電車庫であった稲葉地電車運輸事務所の敷地の一部をバス車庫として使用することになりました.
昭和42年4月にはバス専用車庫として稲西分所を開設.昭和44年8月の稲西自動車運輸事務所の独立に伴い,機能移転し,バス車庫機能は停止されました.
その後も電車運輸事務所として昭和47年3月まで使用されました.跡地は市営北稲葉地荘となっています.
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