トップページ地下鉄路線地下鉄新路線計画地下に眠る「地下鉄未成線」と幻の乗換駅(7号線計画と丸の内駅) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昭和29年から平成23年まで建設が進められた名古屋の地下鉄網は,計4回(昭和25年,昭和36年,昭和47年,平成4年),国の審議会で路線計画が見直されました. 特に影響力の大きかったのが「昭和47年都市交通審議会答申」です. 昭和47年都市交通審議会答申 ※別ウィンドで画像が開きます 結果的に需要過大であったため,平成4年答申では路線網計画が大幅に縮小されましたが,
既設の鉄道路線に対し新しい鉄道路線が交差する形で建設される場合,地上の場合は空間があれば比較的容易に建設できるのに対し,地下の場合は既設トンネルが崩壊しないよう保護しながら下部を掘り進めるなど非常に困難な工事となるため,将来的に交差駅となる計画のある場所については,準備工事を行っておくことがあります. 結果的に準備工事が功を奏したり,準備していなかった場所は難工事の末,新しい乗換駅が誕生することになる訳ですが・・・
昭和47年答申における地下鉄7号線計画は,名鉄小牧線の終点である上飯田から,平安通〜清水口〜市役所を経由して金山に至る市内中心部を縦断する路線です. その後,平成4年答申では,市交上飯田線と名を改めると共に,平安通から南下し,丸田町で同じく新設する市交東部線に乗り入れる計画に大幅変更されました.
地下鉄丸の内駅は,昭和56年11月の鶴舞線浄心〜伏見間延長の際に開業しました.その後,平成元年9月に桜通線が開通し,現在も2路線の乗換駅として機能しています. 昭和47年答申では,さらに第7号線を加えた,3路線の巨大乗換駅となる計画でした. また乗換機能だけではなく,第7号線〜鶴舞線の北回り連絡線,桜通線〜鶴舞線の南回り連絡線を設置する計画でした.
前述の通り,第7号線の北回り連絡線並びに桜通線の南回り連絡線と鶴舞線を接続する計画でした. これを受け,昭和56年開業の鶴舞線丸の内駅建設時には,将来の桜通線トンネルとの交差に備えて補強等の対策が行われると共に,二つの連絡線を鶴舞線駅部で接続できるよう,予め接続部分の構造物を設置する準備が行われました.
これら準備工事を生かし,平成元年開業の桜通線建設時には,桜通線ホームの東側に本線から分岐する折返線を設け,折返線と鶴舞線丸の内駅とを急勾配&急曲線で結ぶ桜通線の南回り連絡線が設置されました. 一方で,第7号線の北回り連絡線は,接続部の構造物は設置したものの,第7号線のルートが変更となってしまったため,連絡線の建設計画は消えてしまいました.
これら二つの連絡線接続部分の構造物は,鶴舞線丸の内駅ホーム端部から確認することができます.
昭和56年開業の鶴舞線駅(伏見通),平成元年開業の桜通線駅(桜通)に引き続き,将来は第7号線新駅(本町通)が設置される予定でした.
鶴舞線駅と桜通線駅との接続では,鶴舞線トンネル並びに連絡線トンネルを2層構造とし,鶴舞線トンネル上層部を改札内通路として使用し,連絡線トンネル上層部を改札外通路としました.
2駅だけの接続であれば改札の内外で各1ルートあればよいのですが,丸の内駅の場合は将来の第7号線新駅に備え,もう1ルート確保する必要がありました. 平成元年の桜通線駅開業時,この2つのルート共に供用されており,第7号線新駅に向かうルートも鶴舞線〜桜通線乗換のバイパスルートとして暫定活用されていました. しかしながら,平成4年答申によって第7号線新駅計画が消え,連絡通路の必要性も無くなってしまいました.
(5)の階段で地下1階から地下2階に移った改札内通路は,地下2階を縦断し,(6)の箇所で桜通線東側階段と接続していました. 現在,(6)の箇所には,改札内トイレや換気機械室がありますが,その奥は立ち入ることのできない謎空間となっており,ここが桜通線から旧7号線に続く通路になる予定でした.
桜通線丸の内駅の久屋大通側は,下り線はシールドトンネルですが,上り線は折返線があるため箱型トンネルになっています.
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