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 名城工場 昭和40年10月〜平成16年10月

 かつて存在した地下鉄名城線の車両基地を紹介します.

名城線 旧名城工場

 地下鉄名城工場は,名城線名城公園駅〜市役所駅間に位置した,かつての名城線の車両基地の一つです.
 敷地面積が小さいため留置機能はほとんど無く,主に名城線車両の検査・修繕を行っていました.

 工場概要

 旧名城工場跡地は,特別史跡名古屋城の東側に位置し,交通局本庁のある名古屋市役所から北へ約500mという,利便性の高い場所にあります.
 明治時代は陸軍の練兵場で,昭和26年からは愛知県の自動車運転免許試験場(現在は平針に所在)として使用されていました.
 この土地(国有地)を昭和40年に市が買取り,同年10月の地下鉄名城線市役所〜栄町間の開業と同時に「名城車庫」が開設されました.

 初期の名城車庫は,面積は1万1725u,留置車両数21両と小規模ながら,列検月検,車体,整備の各工場を設け,毎日の点検から全般検査まで実施できる設備を持っていました.

 昭和46年の路線延伸(現在の名港線開業)と同時に,規模の大きい「名港車庫」が完成し,車両留置・列検・月検機能は「名港車庫」に移転しました.
 小規模な「名城車庫」は重要部・全般検査に特化することになり,昭和48年に大改造工事を行い,昭和49年4月に「名城工場」に生まれ変わりました.
 以後26年間,名城線(路線長20.6km)は「名城工場」と「名港車庫」の2個車両基地体制で運営されてきました.

 平成12年1月,将来の名城線環状化(路線長32.4km)による車両増に備え,路線延伸(大曽根〜砂田橋開業)に合わせて「大幸車庫」が新設され,3個車両基地体制となり,それまで「名港車庫」が担ってきた主要車両留置機能及び列検機能が「大幸車庫」に移りました.
 これに合わせ,手狭かつ都心の一等地に近い「名城工場」を閉鎖し,月検機能のみとなった「名港車庫」を大規模改修して,それまで「名城工場」が担ってきた重要部・全般検査機能を「名港車庫」に移すことになりました.
 平成16年10月の名城線環状化完成と同時に,「(名港車庫→)名港工場」が完成し,機能を失った「名城工場」は閉鎖されました.

 

 

 最寄駅:市役所駅の配線図と引込線

 名城線市役所駅の北(名城公園駅方面)に渡り線(元はSC:シーサースクロッシング)があり,その先から右側へ引込線が分岐しています.
 この引込線上にも1編成が留置可能で,非常時は引込線を使って市役所駅にて折返し運転を行うことがあります.

 名城工場が閉鎖された現在も,保守基地としての機能は残っており,引込線は現在も機能しています.

 市役所駅は台地の上にあり,その北に広がる低地に旧名城工場があったため,本線から工場までの引込線の勾配は緩やかになっています(下はイメージ図 ※推測)

 

 

昭和40年〜平成15年 旧名城工場の様子

 名城工場が稼働していた昭和40年〜平成15年頃についてです.

 旧名城車庫の様子(昭和40年〜昭和46年頃)

 昭和40年から昭和48年までは「名城車庫」という名称でした.
 市役所駅から続く1本の引込線が,国立名古屋病院(現在の国立病院機構名古屋医療センター)敷地下のトンネル内で8本に分岐し,修車工場1線,検車工場3線,車体工場1線,洗車線,入換線,トロリー庫につながっていました.
 修車工場の内には10t天井クレーンもありましたが,奥にトラバーサーも設置されていました.


▲昭和44年頃の様子
 (国土地理院の空中写真)
 留置車両やトラバーサが見える

 
 【国土地理院 航空写真より】
 枠で囲った場所が名城工場敷地です.
 幹線道路と病院,住宅街に囲まれる街中の工場でした.

 

 

 旧名城工場の様子(昭和49年〜平成15年頃)

 昭和46年に名港車庫に列検・月検機能が移転した後は,検車工場や車体工場を解体し,修車工場を2倍に拡張する改造工事が行われました.
 旧来からある工場は台車職場となり,トラバーサー跡地は回転機職場に,増設した工場には車体制御器職場と空制職場が設けられました.
 引込線から分岐する線路は4線に減らされ,トロリー線は2線に増線されました.

 


▲昭和52年頃の様子
 (国土地理院の空中写真)
 留置線が無くなり,建物面積が増えた


▲カメラ(1) 敷地北東角より
 正面の三角屋根が工場棟
 工場施設はほとんどが建物内で,建物の周囲は高い塀で囲われており,外周路から内部を覗き見ることは困難でした.


▲カメラ(2) 敷地北西角より
 旧名城合同事務所と幹線道路沿いの駐車場出入口
 事務所は4階建て/駐車場は2階建て


▲カメラ(2) 西側(名古屋城天守閣)より

 

 

平成16年〜令和2年 工場機能廃止後

 平成16年10月に工場機能が新「名港工場」に移転し,「名城工場」は廃止されました.
 ただし地下鉄車両工場部門のみが廃止で,その他部署の事務所機能は現在も残っています.

 平成16年〜平成21年 工場建屋解体

 平成16年の工場機能廃止後は,敷地東側の修車工場建屋は解体されました.
 敷地西側の合同事務所棟と駐車場棟,トロリー線は引き続き使用され,平成22年3月には駐車場棟で
イベント「市バス開業80周年感謝祭」も開催されました.


▲旧トロリー庫の様子(駐車場より望む)

▲旧トロリー線・開口部の様子
 (駐車場より望む)

 

 

 平成22年〜平成30年 新合同事務所・新トロリー線建設

 平成22年に,敷地東側の修車工場跡地に,新しい名城合同事務所棟(3階建)が,その南側には新しいトロリー線が建設されました.
 これに伴い敷地西側の旧名城合同事務所棟と駐車場棟,旧トロリー線は用途廃止されました(建物解体は行われず廃墟に).


▲敷地東側(写真の左側)に新設された新・名城合同事務所棟
 (北側隣接地より望む)
 

 

 

 令和元年 旧合同事務所棟・駐車場棟解体

 平成22年に用途廃止となった後,8年間放置されてきた敷地西側の旧名城合同事務所棟と駐車場棟,旧トロリー線について,令和元年に解体,更地になりました.


▲旧事務所棟等の解体後(更地)の様子
 

 

 

令和3年以降 跡地の活用

 長年,未利用地となっていた敷地西側の旧名城合同事務所棟と駐車場棟,旧トロリー線エリアについて,令和3年度より跡地活用が動き始めました.

 名古屋城を正面に望む幹線道路に面した敷地西側は,約50年の定期借地権が設定され,民間への賃貸が計画されました.

 敷地中央には地下鉄変電所が建設されることになりました.

 

 民間貸付→民間施設建設計画→頓挫

 幹線道路(大津通)に面した西側の土地4,598平米について,活用提案募集が行われ,令和3年(2021年)2月に借受予定者が選定されました.

 借受予定者は「医療法人朋寿会」です.
 名古屋城駅から近く,名古屋城を正面から望む絶好のロケーションを生かし,「健康と美と食」をテーマとした滞在型の「健康に関するあたらしい学びと発見の場」として地上8階(高さ30.5m)の建築物が計画されていました.
 (ホテル,クリニック,スポーツ施設,スパ,サウナ,レストラン,カフェなど)

 定期借地期間は49年11か月で,賃料価額は年額32,000,000円となるハズでした.

 

 しかしながら,新型コロナウイルス感染症の影響の長期化に加え,昨今の建築資材や人件費の高騰等,社会経済情勢の変化などにより,事業の実施が困難な状況であるとして,令和5年(2023年)10月11日に借受予定者より辞退の申出があり,10月20日に交通局は承諾しました.

 今回の募集では次点提案者が無かったため,活用計画(賃貸計画)は中止となりました.
 交通局は今後の活用について,社会経済情勢が大きく変化していることなどを踏まえて,改めて検討を行うとしています.

 

 

 地下鉄名城線「名城変電所」新設

 敷地中央部に,地下鉄名城線の新しい変電所「名城変電所」が建設されました.
 老朽化した栄第2変電所(地下鉄栄駅構内)の機能移転先となります.

 

 

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